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カブトムシとクワガタ

2017年2月4日「土曜日」更新の日記

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管理員小川の趣味は、虫取り。夏になると、カブトムシやクワガタを捕まえる。といってもオオクワガタのように、レアな昆虫を追い求めるのではない。どこにでもいるカブトムシやノコギリクワガタをターゲットとし、大きく育った個体を収集するという楽しみ方だ。小さなカブトムシは、見つけても捕まえない。釣リでいえばリリースするわけだ。昆虫取りは、子供のころから好きだった。秘訣は朝早く出かけること。森の中には必ず樹液を出し、昆虫が群がってくる木がある。樹液を目当てにカブトムシやクワガタが集まる。小学生のころ、夏休みになると小川は誰よりも朝早く起きて森に入った。他の子供たちが来る前に行けば、カブトムシをいくらでも捕まえることができるからだ。樹液の出る木を目指して森の中を進み、朝日を浴びて琥珀色に輝く樹液にカブトムシやクワガタが集まっている。その様子を見ると、アドレナリンが出てくるのを感じた。たぶん、人間の狩猟本能のようなものが刺激されるのだろう。虫取りは、小川にとって心から楽しむことができる趣味。が、会社勤めしている間は、封印されていた。いい歳をしてカブトムシを捕まえて喜ぶのもどうかと思った。子供ができてから、一度捕まえてきてあげたら、飛び跳ねるように驚き、大泣きされた。それで、「子供が喜ぶから」という大義名分が使えなくなり、さらに昆虫のいる森が遠のいてしまった。そんな小川にとって、転機が来た。マンションの管理員として働き始めて2年目の夏のことだ。マンション中庭で、子供たちの歓声が聞こえた。何をしているのかと、近付くと、「虫、虫」と小学校3年生くらいの男の子が興奮している。「悪魔みたいだ」「デーモン」と、小学校5、6年の男の子。小川がのぞき込むと、木の枝にカミキリムシがいた。体は黒と白2色で、確かに悪魔のようだった。興味津々だが、今の子供は虫を手でつかむことができない。刺されたり、噛まれたりすると思っているのだ。確かに、カマキリなどはどこを持っても、体を器用によじって攻撃してくる。虫好きの小川でも触りたくなかった。カミキリムシも下手につかむと攻撃される。しかし、小川にしてみればなんのことはない。「ほら」とつかんであげると、おおっというどよめきが起こった。僕にちょうだいと言う子供もいたが、カミキリムシでは飼ってもおもしろみがない。「この虫よりもカブトムシはどうだ」と小川が言った。「カブトムシ、カブトムシ」と歓声。カブトムシなら、もっと欲しいと言う。小川は身震いした。このときを待ってました……である。「それじやあ、夏休みまでにカブトムシを捕まえておく。夏休みに入ったらあげるから、家で飼ってもいいか、お父さんお母さんに聞いておいて」それから、小川の虫取りが再開された。早朝に出かけるので、勤務に支障はない。朝、カブトムシとクワガタを捕まえ、管理員の仕事に向かう。管理室では大きな虫かごに昆虫を入れ、その数はみるみる増えていった。夏祭りまでのえさ代は小川のポケットマネーだ。その虫かごを見て、管理会社の担当社員・井口はのけぞった。「何これ?カブトムシとクワガタ?これだけいると、気持ち悪いな。で、どうするの?」それで、小川は子供たちと約束したこと、夏祭りで配ろうとしていることを話した。「配るといっても、そのままハイつて渡しても子供が困るでしょう」虫かごがいるな、と井口は思った。「だったら、会社に掛け合って、虫かごを手配します。お酒を差し入れるより、そのほうがみなさんに喜んでもらえる。うん、そうしよう」一人で納得する井口に小川がまじめな顔で声を掛けた。「井口さん、カゴだけでなく、エサも付けてください」「エサって何?いくらするの」「昆虫ゼリーつていう名前で売っていて、?個当たり10円くらいです」「10円……5個付けて50円。それを100人に渡して5000円。大丈夫。ぜひ、やりましょう」当日、全85世帯のマンションで?00ものカゴが用意され、子供たちにプレゼントされた。兄弟の場合、それぞれに1カゴずつ渡して大丈夫なようにした。カブトムシは7割で、クワガタが3割。実は、予備として、カブトムシとクワガタを10匹ずつ用意し、もっと欲しいという子供に渡すつもりでいた。このカブトムシとクワガタは非常に好評で、予備も含めてすべてが手渡された。マンションの居住者だけでなく、外から遊びに来ていた子供にも振る舞われた。子供と共に親も喜んだ。その理由として多かったのが、「さすが、天然物は違う」の声。今、田舎に行くと昆虫牧場なるものがあり、入場料を払うと、昆虫採取ができる。が、そのような場所で採れるカブトムシは小型のものばかり。その点、小川が捕まえてきたカブトムシとクワガタは図体が大きく、牧場産の3?4倍に見えた。しかも色つやがよい。黒茶色の鈍い光を放つボディはいかにも強そうで、その点も子供たちの歓心を買った。子供たちが目を輝かすと、親もうれしい。その様子を見て、管理会社の担当社員・井口は小川に「また、来年もやりましょう」と声を掛けたのである。このように、管理員になってからかつての趣味を復活させたり、やりたかった趣味を新たに始めるケースは少なくない。油絵を描く、彫刻を彫り始める……その作品の中には、玄人裸足のものが少なくない。それらが、マンションの集会室やエントランスに飾られる。分譲マンションでは、そんな出来事も起きるのである。

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