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あなたは娘のよう

2017年2月21日「火曜日」更新の日記

2017-02-21の日記のIMAGE
管理会社の社員は、受け持ちのマンションをいくつか持つ。担当マンションには常時気を配り、実際に訪れることが多い。その日、管理会社の若い女子社員・大塚は、都内にあるマンションの理事長を訪ねることにしていた。大事な書類を届けるためだ。「夕方、6時ごろまでには……」そう約束していたが、急な仕事が重なり、マンションに着いたのは8時近かった。大塚はマンション内を走って理事長宅に向かった。「こんな遅くに申し訳ありません。少し説明を差し上げてすぐに失礼しますから」恐縮する大塚に、理事長はほほえんだ。「若いうちは走りまわるもの。そうしないと」人前にはなれない。忙しいのはいいことだよ」理事長は10年ほど前に大手企業を定年退職。今は夫婦二人でリタイア生活を満喫している。イギリスでの生活も経験していたため、英国風の暮らしを実践する方でもあった。大塚は、以前、おいしい紅茶とスコーンをいただいたことがあった。そのとき、紅茶のカップはソーサーと一緒に胸元まで持ってきていただくマナーも教えてもらった。しかし、今日は夜8時。すぐに失礼しようとしたら、「まだ、いいじやないですか」と理事長。キッチンから夫人が、「簡単なものだけど、ご飯食べていって」?先ほどから、せっせと台所仕事をしていたのは、私の食事をつくっていてくれたのか。「いえ、そんな、結構ですから」なに遠慮しているのよ、と夫人はダイニングテーブルに茶碗や皿を並べ始めた。器から湯気が上がっている。これは、もう断れない。大塚はテーブルに着いた。そこには、英国風とは掛け離れた食事が並んでいた。焼き魚とお味噌汁、そして煮物。以前、理事長夫人と話をしているとき、出身地が同じであることが分かった。そのことを覚えていた夫人が、ふるさとの味として煮物をつくってくれていた。「さあ、遠慮なく食べて。あなたは、私たちの娘みたいなものだから」その言葉が、東京で一人暮らしをしている大塚の胸に響いた。理事長は離れたソファに座り、さりげなくゴルフの雑誌に目を通していた。向かいには、ほほえむ夫人。煮物は、田舎の母がつくつてくれるのと同じ味がした。

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