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外国人が絶賛した日本の家屋

2017年8月29日「火曜日」更新の日記

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生活の変化や来客など、必要な状況に対応したり、生活に変化を持たせるための空間の可変システム。これこそがこれからの住まいの自在空間への移行である。しかしこれは、今日いわれている自由設計とはまったく別のもの。生活の、その時々の気分やしたいことに応じて、空間が自由に変わっていくことを意味する。じつはわが国の伝統的な住宅は、まさしくこの自在空間である。茶室がいい例で、花や茶道具一つで、哲学的にも高度な精神的空間をつくり出すことさえできるのだ。外界との区画もあるようでなく、空間は無限に広がっていく。 残念ながら、この外界との区画は今日の都市生活ではなくては暮らしていけないので、せめて内部空間だけは日本の住まい文化の精髄としての自在空間を生かし続けたいものである。しかし、こうした自在空間に住むためには、住む側の精神性や創造性が要求される。それはわが国の高度な住まい文化に欠かせない大切な条件でもある。かつて日本を訪れた外国の建築家たちが、囗をそろえて絶賛したのもこの点だ。 彼らの目に映った日本家屋の高度な技術と、規律と約束事だけによる象徴的な空間構成は、まさしくそれ自身がドラマであり、哲学であると、驚嘆を呼んだのである。日本美を世界に知らせ、水平線の強調された造型や寄せ棟風の落ち着いた勾配屋根などを、自らの建築にも取り入れた。アメリカ西岸に多い高級住宅を多く手がけたリチャード・ノイトラは、こうした日本のシンプルな柱と梁の構造を鉄骨で再現したのだ。大きなガラスをはめ、外部(砂漠)と室内を完全に融合させ、日本家屋以上の開放的な住空間を生み出した。 レッガ積みに小さなガラリ窓の、寒さに強い彼らの住まいが、まるで桂離宮の柱間のように開放され、巨大なガラスふすま(スライディングドア)をそなえたアメリカの(イソサエティの高級住宅のパターンを生み出したのである。世界的な建築の合理主義に、日本の住文化の自在空間の「輸出」は大きな影響を与えたともいえよう。しかし残念ながらわが国の住まいの現実は、こうした優れた伝統とはうらはらに、逆にエキゾチックな西洋スタイルに移行した。ここで、日本本来の住まい文化はぶっつりと途絶え、混乱する。とりわけ終戦とともに進駐軍の簡易宿舎を見習ったため、プレハブやツーバイフォーなどの壁でできた「箱の家」が大量生産された。当時の文化住宅や公団住宅などはまるで簡易住宅そのもので、西洋人の目には「ウサギ小屋」と映るにいたってしまったのである。

家探しのプロ

家探しのプロといえばやはり不動産会社でしょう。
熊谷市内にある不動産でたまたま店内に入ってみたサカエプラスという会社。
まーーーよかった。熊谷の不動産巡りをしようと考えていたんですけど1店舗目で当たりを引いちゃった感じです。
そんなに頻繁に引越しする予定はないですけど、次があればまたお世話になろうと思いました。

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